宮崎県椎葉村が舞台の映画「しゃぼん玉」。映画を通じて再認識した「故郷」への思い
こんにちは、bashiです。
僕の本名、名字は「椎葉」といいます。
「椎葉」というのは、九州・宮崎県のとある地名です。
今回は、僕の「ルーツ」ともいえる、「宮崎県椎葉村」のことを書きます。
<目次>
椎葉村ってどこ???
椎葉村は宮崎県の北部山沿い、九州山地に位置する山間の小さな村です。
宮崎空港から車で約3時間、熊本空港からだと車で約2時間、
すれ違い困難な細いくねくねした山道をやっとこさ通り抜けて、
ようやくたどり着くことができます。
人口は3,000人を切り、高齢者の多い過疎地域です。
椎葉康祐のルーツがある場所
僕の先祖はこの椎葉村出身です。
今の実家は山のふもと、海側の日向市というところですが、
祖父より上の世代は椎葉村で暮らしていました。
今もその家は残っていますが、半空き家の状態です。
この家は標高が高いところにあり(約1,000m)、
ここから見える景色は自分で言うのも何ですが、本当に素晴らしいです。
平家落人がたどり着いた「秘境」
先ほども申し上げた通り、椎葉村は気が遠くなるような山奥ですので(笑)、
岐阜県白川郷、徳島県祖谷と並んで「日本三大秘境」の一つと言われています。
この秘境、椎葉には「平家落人伝説」というものがあります。
源平の戦いに敗れた平家は、身を隠すためにこの秘境椎葉にたどり着きます。
しかし、鎌倉幕府から平家皆討ちの命を受けた源氏の那須大八郎(那須与一の弟)は、秘境椎葉まで平家を追ってきます。
ところが、山中の過酷な環境下でも、懸命に農作業に従事し、素朴に暮らす椎葉の人々の姿に感銘を受けた大八郎は、「ここの人々を皆討ちなどしたら人でなしだ!」と思い、幕府には「平家の残党は皆殺した」とウソの報告をし、椎葉で暮らすようになりました。
そこで、「鶴富姫」という平家の末裔と恋に落ちます。
そののち、大八郎と鶴富姫は結婚して子供を授かります。
しかしながら、大八郎に幕府への帰還命令が出て、大八郎は自身の子を身籠った鶴富姫を置いて椎葉を去ることに・・・
「おまえのお腹の子は確かに私の子だ。もし、生まれてくる子が男の子なら、私の故郷(幕府)によこしなさい。もし、女の子ならこの地(椎葉)で育てるがよい」と言い残し、椎葉を後にします。
その後、鶴富姫は女の子を出産。その子が大きくなると婿をとり、大八郎の姓である「那須」を名乗らせたといいます。
こちらが悲恋の物語の舞台、「鶴富屋敷」です。
昔ながらの平屋の住居で、訪れた人々はここで心を落ち着かせることができます。
世界農業遺産に認定された伝統農法「焼畑」
椎葉村が世界に誇る伝統として、今では日本で唯一となってしまった伝統農法、
「焼畑」があります。
椎葉の焼畑は、国連食糧農業機関(FAO)が認定する「世界農業遺産」にも認定され、
その伝統農法は世界的に認知されています。
宮崎県:「高千穂郷・椎葉山地域」が世界農業遺産に認定されました!
昔は椎葉村の至る所で行われていた焼畑も今では一軒だけしか行われていません。
その一軒が「民宿焼畑」の椎葉家。
左に写る椎葉クニ子さんは、大正13年生まれの92歳。
杖もつかず元気に野草や山菜取り、農作業をするスーパーウーマン。
野草や山菜など、山の植物のことは何でも知っておられ、
「森の名手・名人」にも選出されています。
先祖の言い伝えや伝統・文化を大切にしておられ、次世代に受け継ごうと僕たちにたくさん語りかけてくださいます。
自然と共に生きること、先祖代々受け継いできたものを大切にすることの大切さを教えてくださいました。
民宿焼畑はクニ子さんの息子、勝さんと妻のミチヨさんが営んでいます。
写真は地元の食材をふんだんに使った夕食。
しいたけ、手作りこんにゃく、手作り豆腐、たけのこ、お豆、川魚(ヤマメ)、山菜・・・
どれも本当に美味です。料理一つ一つにやさしさと温もりを感じます。
焼畑でとれたお蕎麦。その香りの豊かさ、コシ。
僕は、「焼畑の蕎麦」に勝るものはないと思っています。
一口一口を大切にいただきます。
椎葉村が舞台の映画「しゃぼん玉」
2017年3月、椎葉村が舞台となっている映画が公開されました。
タイトルは「しゃぼん玉」。
非行を繰り返してきた若者が、椎葉村の暮らしや仕事、人々との交流を通じて、荒れ果てた心を癒していく、「心情の変化」を表現した作品です。
映画を観て感じた「故郷」への思い
最近僕はその「椎葉村」が舞台となっている映画を観に行きました。
僕は、その映画を観て涙が止まりませんでした。
プロフィールにも書きましたが、僕は田舎が嫌いでたまりませんでした。
neofarmvillagelife.hatenablog.com
だから、小4で埼玉から宮崎に引っ越してきた時から、高校を卒業し東京に戻るまで、
ずっと宮崎から出たい、早く関東・東京に戻りたいと思っていました。
「宮崎に染まる」ことを毛嫌いし、方言も一切身につけませんでした。
しかしながら、東京に戻ってきて7年が経ち、
僕の心は大きく変化しました。
「宮崎っていいところだったんだ」
確かに、東京と比べたら全然若い人がいなくて、お年寄りばっかりです。
流行が遅れています。おしゃれなスポットもほとんどありません。
何もないです。
でも、豊かな自然があります。おいしい食べ物がたくさんあります。
人がみな温かく親切です。古き良き伝統文化が残っています。
でも、僕みたいに若い人がみんな東京とか都会にみんな出て行って、
この故郷の「良さ」を受け継ぐ人がいなくなってしまったら、
大切なものがなくなってしまったら、本当に悲しいことです。
僕は今まで、故郷に目を向けず都会に戻ることばか考えていたことをすごく後悔しています。
都会に戻ってきて気づかされた「故郷」の良さ。
僕は「故郷」にしっかり目を向ける。「故郷」の大切なものを守り、受け継ぐ。
この映画は、「故郷」の大切さを改めて認識し、決意を強固にするきっかけとなりました。
みなさんもぜひ一度、この映画「しゃぼん玉」を観て、
「故郷」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
bashi