【ルワンダ】あれから23年…「ジェノサイドを考える国際デー」を機に自分の在り方を考える
こんにちは、bashiです。
この間、4月7日は1994年のルワンダで起こった
「ジェノサイド(大虐殺)を考える国際デー」でした。
今回は、ルワンダで23年前に実際に起こった「悲劇」について、目を背けずに真剣に向き合おうと思います。
ツチ族とフツ族の対立はここから始まった ー
もともとルワンダは1人の王様が支配する「王国」でした。農耕民族(フツ)、牧畜民族(ツチ)といった区別はあったものの、フツもツチも同じ文化認識を持ち、同じ言語を使う「同一民族」でした。
ところが、19世紀末からドイツによる植民地支配、20世紀前半からベルギーによる植民地支配がはじまり、
「同一民族」であったルワンダ国民が、意図的に2つの民族に区分されます。
と区分され、身分証明書を持たされます。
また、ベルギーは植民地支配に対する不満を背けるために民族間の対立をあおりました。
例えば、「ツチ族は背や鼻が高く、顔立ちが整っている西洋人のような高貴な存在だが、フツ族は背が低く、顔が丸く、不細工で野蛮な存在」といったように、身体的な特徴からツチ族・フツ族を差別し、「ツチvsフツ」の対立構図を意図的に作り出しました。
1962年、ルワンダはベルギーからの独立を勝ち取るのですが、
「ツチ族は悪魔だ」
「ツチ族に近づくと病気になる」
「ツチ族はこの世からいなくなるべき」
「ルワンダ大虐殺」と呼ばれる出来事は1994年に起こったものですが、
1994年、「悲劇」は起こった ー
その事件が引き金となり、次の日4月7日よりフツ族によるツチ族や穏健派フツ族の無差別大量虐殺が発生。それが収束する7月までにルワンダ全人口の10分の1に当たる80万人以上(100万人とも言われている)が殺害されました。
なぜこんなことが起きてしまったのか ー
23年前、この虐殺記念館は「教会」でした。そして、その教会が殺害の現場だったのです。
こちらが虐殺記念館の外観。穏やかな晴れ空と響き渡る鳥のさえずり、子供たちの笑い声。
こんな平和な国で大虐殺があった?なんて本当に想像がつきません。
ひとまず中へ入ります。
虐殺記念館の中は撮影が禁止されています。
そのため、中の様子文章でしか伝えられないのですが、そこには確かに、
ジェノサイドの「爪跡」が残っていました。
山積みになった骸骨、血痕がくっきりと残った衣服の山、建物内のあちらこちらに残る銃痕・・・
当時、ツチ族はみなこの教会に集められ、子供も老人も関係なく、次々と殺されていったのです。
想像するだけで胸が締め付けられます。
僕はこのとき、ジェノサイドは「事実」であったことが理解できたのです。
ジェノサイドの現場となったとある教会に掲げられていた言葉に、このようなものがあります。
「あなたが私を知っていたら、あなたがあなた自身を知っていたら、こんなことは起きなかっただろう」
メディアなどが作り出した勝手なイメージ、先入観で判断し、「あいつはこうだ」と決めつけてしまう。
自分の「価値観」が絶対だと思い込み、相手にそれを押し付ける。
自分の認識がたとえ間違っていたとしても、それを疑わない。訂正しない。
相手と真剣に向き合い、理解しようとせず、
単純なイメージで「ツチ族は悪魔だ、この世からいなくなっていい」と決めつけてしまう。
フツ族自身、「これ、間違っているんじゃないか」と自分と向き合うこともおろそかになっていた。
その結果、「悲劇」が起きてしまった・・・
これ、ルワンダの悲劇にかかわらず、日常の人間関係でも起こっていることでは無いでしょうか。
それこそ、僕自身がそうじゃないのかと思うと、いたたまれない気持ちになります。
確かに、情報収集のためにメディアは有用なツールです。見たことも、聞いたこともないことを目にするきっかけとなります。
でも、それだけで終わらせません。実際のところどうなのかは、自分自身がこの目で見て、体験して、会話をして、五感で感じることで初めてわかるからです。
でも、実際ルワンダに行くと、
人は穏やかでとても親切。治安が良くて夜も平気で出歩ける。年中過ごしやすい気候。
「危険な国」というイメージは簡単に覆されました。
ルワンダに限らず、他の所でも、身近な人間関係でもあると思うのですが、
「単なる思い込みで、実際は違った」ということが本当にあふれています。
イメージで簡単に決めつけないで、自分の目で確かめること、体験すること、人と会って話すこと、そして、自分と向き合うこと・・・
「ルワンダの悲劇」は、それらの大切さを、身をもって感じる出来事だと思います。
「あなたを知り、私を知る」努力を、僕は惜しまず頑張りたいと思います。
bashi
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